日本全国極上ブランド牛肉の種類や特徴

日本三大和牛をはじめ、幻と呼ばれた見島牛、地方で人気の黒毛和牛・・・日本全国のブランド牛肉の種類や特徴を解説します。

◇レジェンドビーフ【見島牛】

見島牛は幻と呼ばれるのは日本で生息する牛の中で唯一生粋の日本の和牛だからです。日本に存在する黒毛和牛のほとんどは、海外の牛の種で交配された牛で、血統としては純粋な日本の在来牛と言えません。唯一純正の日本和牛であるのが、見島牛です。純日本和牛は、全国で見島牛と口之島牛の2種だけです。

見島牛の種類

見島牛は、山口県萩市で飼われている日本古来の小型牛です。牛の毛の色は黒色と茶色が混ざったような毛色で、オスとメス両方に角が生えています。見島牛は小型なので、小尻で小回りが利きます。また、胸の筋肉が発達していて、小走りで走ってい来ますので、農耕用としても最高に優れています。更に頭も賢く、生後1ヵ月半の子牛が、初めて連れていった畑から自分の牛舎まで勝手に帰っていたこともあったほどだそうです。

体格約1m~1.2mで、体重は250キロから320キロですので、一般的なブランド和牛に比べ、小柄であるといえます。そして、性格はおとなしく、人間でいうと真面目で誠実な性格です。

見島牛の定義

特にブランド和牛としての定義はされておらず、見島牛は血統柄、特別な工夫をしなくても本土の和牛以上に美味しいと言われています。島の住民の人たちに暖かく育てられ、ブランド和牛として固い基準を設ける必要はなく、地域の信頼でブランドが成り立っているとも言われています。定義されていなくとも、見島牛を咬めば噛むほどに肉のうま味が高まるほどの肉質で、とろけるような味わいを楽しめます。

見島牛の歴史

見島牛の歴史は約1000年にも遡ります。山の傾斜が激しい見島では、斜面の棚田で稲作をしてきました。

そんな島の人たちの生活に合わせ、農耕の為に使われてきたのが、見島牛です。しかし、牛肉を食べる文化が海外から入ってきたがゆえに、明治時代以降には、外来種の牛と交配させた方が、体格がよく立派に育つとされ、進められていました。

その結果、純粋な日本の和牛というのが、どんどんといなくなっていきました。第二次世界大戦が終戦に向かう頃、約600頭前後の見島牛が飼われていましが、農業器具が発達すると共に、一時的に30頭まで激減したことがあります。

昭和初期の1928年には、見島ウシ保存会の協力もあり、日本の天然記念物に指定され、現在では、約80頭程の見島牛が保存され育てられています。

見島牛の希少性

幻と言われるほどに、希少性が高く、かなり高価な和牛です。年間の出荷数は、12頭のみで、日本全国に出回ることはありません。

見島牛はどのように育てられる?

有名なブランド和牛と言えば、綿密な牛小屋での管理体制で肉質を管理しているにもかかわらず、見島牛は、自然に放牧され悠々と島の風を感じ、ストレスなく育てられます。島の豊かな資源と守り抜かれた血統があれば、鮮やかな肉質に成長できるということでしょう。

見島って、どこ?

見島は、山口県萩市から約45キロメートル離れた北西の小さな島です。島の面積は、約8㎢程だけです。日本本島から離れた離島であるからこそ純和性の牛であることができたといっても過言ではありません。

◇ブランド和牛のルーツ【但馬牛】

 

但馬牛の特徴とは?

但馬牛は小柄ですが、力強く丈夫で、遺伝力が強く、多産な和牛です。そのため、但馬牛は全国の高級ブランド和牛の素牛として活用されています。但馬地域は谷が多く、1000m級の山に囲まれ地形が険しいため、昔から小型の牛が段畑などで大活躍していました。もともと、但馬牛は農耕用の牛でした。

急斜面で運動し体を鍛えられているため、骨は細くて皮はうすく、皮下脂肪も少ないのが特徴です。また、脂質が抜群によく、肉質が高く、霜降りと呼ばれる赤身と脂肪のバランスが絶妙です。

但馬牛の種類

日本三大和牛と呼ばれる「松坂牛」「神戸牛」「近江牛」の素牛とされているのが、兵庫県で生まれ育った和牛最高峰の但馬牛です。また、宮崎牛、前沢牛、佐賀牛、飛騨牛、鹿児島牛などの全国のブランド牛にも、但馬の血を引き継いでいるといわれています。日本全国のおよそ85%以上の牛のルーツが但馬牛です。

長年にわたって、和牛としての優れた資質を持ちながら、格式高く強い遺伝力で、但馬牛の血統を守り続けていており、但馬牛のブランドを守り続けていくため、違う品種との交配は一切行いません。

また、ブランド和牛としての素質を作る飼育方法の改善・改良のノウハウもピカイチで、長年の伝統と農場のこだわりが代々受け継がれて今の但馬牛があるといっても過言ではありません。

但馬牛の定義

但馬牛の定義として、まず兵庫県で生まれ育った牛であることです。ただし、純正な但馬の血を引く牛であることが条件です。但馬地区だけに限定していない理由としては、兵庫県全体の地区の牛すべてが、但馬産の牛を受け入れ、過去から交配を繰り返し、県内のすべての牛が純粋の但馬牛だとされてるからです。

但馬牛の歴史

日本人はもともと牛肉を食べる分かがなく、海外からキリスト教と共に肉牛の文化が浸透していきました。100年以上前の但馬牛は、農家で作業用に使われる牛でした。但馬の国では、昔から棚田という手法で、傾斜地に作られる小面積の水田で、農作物を生産してきました。そのため、小柄でパワフルな但馬牛が適していました。。

但馬牛の希少性

日本三大和牛の素牛とされる但馬牛ですが、実質但馬牛として出荷される数は、年間約5500頭だけです。飛騨牛で、約1万頭と言われていますので、但馬牛は他のブランド牛と比べても希少価値は高いといえます。

但馬牛のエサは?

もともと、但馬牛は、特に栄養面に気を使うことなく、のびのびと牧草や藁をたべてい生きていました。1970年代に入り、但馬牛を大きく育てようと試み、トウモロコシや大麦などの蛋白質や炭水化物をたくさん含む「濃厚飼料」が与えられるようになり、恰幅のいい牛に成長したのですが、肥満気味になってしまい不健康な子牛が多くなってきたそうです。

現在では、その失敗を活かし、胃が丈夫で健康な子牛を飼育するために、繊維を多く含む粗飼料と呼ばれる牧草を与えられています。

但馬牛はどのように育てられる?

但馬牛は素牛として育てられ、ブランド化させるため肥育農場へと渡っていくことがあります。子牛の時は、肥満にさせ過ぎず、健康に育てることを心がけられており、繊維を多く摂取できるように「粗飼料」を牧草に含ませ飼育する取り組みを始めています。

粗飼料を食べて育った子牛を「すくすく草育ち」というネーミングで出荷されています。また、産地偽装を回避するために、すべての和牛に対して、個体識別番号が付けられています。インターネットで、但馬牛の出生年月日や飼育場所が調べられ、血統付きの但馬牛として証明することができます。

但馬牛の生産量

世界的にも但馬牛の評価は高く、海外への輸出量が増えてきています。その為、農林水産省のバックアップと共に、2006年から、2015年で但馬牛の生産向上に向けて繁殖用の雌牛を増やし、増産を試みた結果、2006年では14500頭だったのが、16000頭に増え、約1500頭の増産に成功しています。

◇日本3大和牛【神戸牛】

 

神戸牛の特徴とは?

お肉の断面には、霜降りと呼ばれるマーブル状の脂肪が牛肉の塊の中に細かく交わっているのが特徴で、この脂肪は人肌の温度でとろけてしまいます。つまり、神戸牛を口の中に入れた瞬間、細かな脂が舌の上でとろけだし、赤身の持つおいしさと脂肪の甘みと香りが、絶妙に絡み合うということです。牛肉の味は、この脂で決まるとも言われています。

神戸牛の種類

神戸牛と呼ばれているブランド和牛ですが、実は但馬牛です。黒毛和牛である但馬牛の中でもある一定の基準を満たした場合のみ、神戸牛と名乗ること事が許されています。

神戸牛の定義

兵庫県で生まれ育った但馬牛の中でも、出産を経験していない雌の牛か、精巣を取り除いた雄の牛であり、尚且つ霜降りの度合いが高い牛肉だけを神戸牛と呼ぶことができます。つまり、但馬牛より神戸牛の方が、品質は高いといえます。

また、皮や骨などを取り除いた状態の牛肉の重量が、雌で、230Kg~470kgで、雄は、260kg~470kgでおさまっている必要があり、およそ、米俵4個~8個分に値する重量となります。

神戸牛の正式名称

神戸牛の正式な名称は神戸ビーフもしくは、神戸肉ですが、松坂牛や近江牛といった他のブランド牛と合わせられるようになり、神戸牛と呼ばれるようになりました。神戸肉流通推進協議会で、正式に定められているのは、前述の「神戸ビーフ」、「神戸肉」です。

神戸牛の歴史

神戸と言えば、おシャレで異国の雰囲気が漂う建物が多く立ち並んでいます。異人館が有名ですが、1868年に神戸港が開港されてから、外国人が多く神戸を訪れるようになりました。その影響で神戸には西洋的な文化が根付き、牛肉を食べ始めるようになりました。

もともと、農家の作業用に飼われていた但馬牛をイギリス人が大絶賛したことから、神戸ビーフと呼ばれ、海外へ輸出されたり、日本全国にも神戸ビーフの名前が広がっていったそうです。今もなお、神戸牛は海外でも知名度が高く、KOBE BEEFという名のブランドと認知され、高級食材として評価されています。

神戸牛の希少性

神戸牛として認められる牛は、年間で約3,000頭で、日本全国で食べられる牛肉全体のわずか0.06%ほどです。しかも、牛を神戸牛として育て上げるのに、約2年半かけて飼育する必要があり、飼料も一頭ずつ手作業で管理し、美味しい神戸ビーフと育てる必要があります。しかし、大切に飼育されたからと言って必ず神戸牛として認められるわけではないので、神戸牛の希少性はかなり高いといえます。

神戸牛が食べるエサとは?

お肉の味は、牛が食べるエサで決まるといわれていますが、神戸牛になる牛は、稲わらなどの乾燥した草を食べています。ブランド牛として成長させるには、栄養管理はとても大切です。

さらに、大豆やとうもろこし、大麦、ふすまなどの成分がブレンドされた配合飼料が与えられています。草原に生えているような、栄養素の分からない生の草は一切食べさせることはありません。また、牛が飲む水も重要で、硬水でラジウムが多い綺麗な水だけを飲ませています。

神戸牛はどのように育てられる?

まず、繁殖農家で、血統書月の但馬牛の雄と雌によって、子牛が誕生し、約9か月ほど成長した段階で、肥育農家に受け渡されていきます。その後、約22か月大切に育てられ、体重が700kgほどの大きさにまで成長していきます。

◇日本3大和牛【松阪牛】

 

松坂牛の特徴とは?

日本3大和牛の中の1つで、「肉の芸術品」と呼ばれるほど色鮮やかな霜降りで、日本全国に認知されています。その名の通り、松坂牛はブランド和牛としても高価な食材で、ファンの中では、最高級の牛肉だといわれています。

松坂牛の定義

松坂牛の定義は、黒毛和牛である事と、出産を経験していないメス牛である事の2点です。品質としては、黒毛和牛の雌牛を900日以上肥育された肉牛を「特産松坂牛」と呼ぶことができ、その中でも、肉質等級が4のものが、「銀」とされ、肉質等級が5のものは、「金」となり呼ばれます。(※肉質等級とは、霜降り度合いの事を5段階評価で表す基準です。)

更に偽装防止のために、松坂牛個体識別管理システムに登録している牛であることが条件となります。

松坂牛の歴史

もともと松坂牛は、兵庫県の但馬で生まれ育った雌の但馬牛をの子牛を農耕用として購入し、3,4年自然と大きく育ち太牛と呼ばれるようになると、肉牛として食べられるようになったと言います。昭和10年の東京芝浦市場で開かれた「全国肉用畜産博覧会」で、最高品質の松坂牛として次第に名を高めていきました。

また、明治37年ごろには、日露戦争が勃発し、食糧難である中、上質の肉牛として日本全国に売り出されたのをきっかけに、さらに松坂牛の名を高め、ブランド和牛として知られていきました。

松坂牛の品質保証

規定に沿わない肉牛に勝手に松坂牛の名前を使った場合、除名させられるというきつい罰則が定められています。基本的には、松坂牛個体識別管理システムで管理されていますので、偽装される心配は、ほとんど考えられませんが、切り身になってしまった牛肉は要注意かもしれません。黒毛和牛の雌牛を900日以上肥育された肉牛を「特産松坂牛」と呼ぶことができますので、最高ランクの松坂牛を見極めるのは、松坂牛シールか松坂牛証明書になります。ネットでも店舗販売でも品質保証は、松坂牛のシールと証明書が本物の証です。

松坂牛はどのように育てられる?

但馬牛の子牛を松坂で、約三年かけて肥育させていきます。基本的な牛のエサは、昔ながらの稲わら、ふすま、大豆粕、大麦などの蛋白質を与えられ、大きく霜降りがいきわたる牛へと成長させていくのですが、一部の松坂牛では、ビールを飲ませる肥育方法があります。また、霜降りの品質を上げるために、牛に焼酎でマッサージも行うこともあるそうです。

松坂って、どこ?

松坂は、三重県の中心部にあり、伊勢湾に面している都市です。まつさかと読みます。

◇日本3大和牛【近江牛】

 

近江牛の特徴とは?

牛肉はきめが細かいほど美味しいといわれています。近江牛は、そのきめ細やかさと柔らかなとろける肉質なのが特徴です。

また、牛をさばいた状態(枝肉)でも水分が蒸発しにくく、重量が減少しにくいのが特徴です。ブランド牛全般的にいえることですが、肉や脂肪の色、ツヤ、霜降りの入り混じり方などの美しさが、高級なブランド和牛としての特徴といえます。程よい粘り気のある脂肪で、甘みを感じることができます。

近江牛の種類

滋賀県には、日本一大きな湖があり、水の文化が強く、恵まれた琵琶湖の水と自然豊かな環境で飼育される黒毛和種の牛です。過去のルーツをたどると、近江牛のとなる牛は、但馬の牛となりますが、現在では、必ずしも但馬牛を素牛としなくても良いそうです。近江牛の定義としては、「滋賀県で飼育された黒毛和牛であること」ですが、近江牛の認定書や認定シールが発行されるのは、品質がA-4、B-4以上の格付けされた牛のみとなります。

近江牛の歴史

近江牛は、ブランド和牛の中でも日本一歴史が古い牛です。約400年前の戦国時代に豊臣秀吉が小田原城を攻めた時に、秀吉の家来である武将に牛肉を振る舞ったという歴史上の事実が残っています。近江ではポルトガル人宣教師によってキリストの教えと共に、肉を食べる習慣が広められました。

江戸時代にキリスト教が禁止された時に、肉を食べるのも禁止されたのですが、彦根藩は秘かに近江牛を生産しており、幕府への献上物として牛肉のみそ漬けが渡されていたといわれています。

近江牛の希少性

1頭1頭の近江牛を大切に育てるために、近江牛の出荷数は年間6,000頭に限られています。放牧では生まれない高品質の牛に成長させるためには、牛を育てる高い技術と生産者の愛情がいきわたってこそ、とろけるような美味しい霜降り和牛を食べることができるのです。

近江牛が食べるエサとは?

豊富な素牛を扱う近江牛は、食べるエサも農場によってこだわりが違ってきます。基本的には、食物繊維が豊富な近江米の藁を乾燥したものをエサとして食べています。

生後20か月の近江牛は、何と1日4キログラムの藁を食べ、絶妙な霜降りへと成長させるため、肉質と脂肪の割合を整えます。藁には、肉牛にとって必要な栄養素がたっぷり含まれていて、昔からの肥育の伝統が引き継がれています。ビタミン・蛋白質・ミネラルを含んだエサをたくさん与えることによって、より精度の高い近江牛へと育って行きます。

◇【米沢牛】

米沢牛の特徴とは? 米沢牛は、山形県米沢市で育てられた黒毛和牛です。きめ細かな霜降りである脂の質は最高級で、人肌程度の温度でとろけだし、うまみのある香りが鼻を通っていきます。

米沢牛の種類

米沢牛は、日本で生まれ育った黒毛和種が使われています。特に子牛が生まれ育った産地や血統などは、関係なく黒毛和牛であれば問題ありません。(※ただし、米沢牛の定義を満たしている必要はあります。)

米沢牛の定義

山形県の以下の市町で肥育された黒毛和牛であり、出産経験のないメス牛もしくは、精巣を除去されたオス牛であることが米沢牛と呼ばれる条件となります。

<山形県置賜地方> 米沢市・南陽市・長井市・高畠町・川西町・飯豊町・白鷹町・小国町

また、生後32か月以上の育てられた牛で、日本格付協会から3等級以上の肉質と認定されたた肉牛である事が米沢牛の定義となります。

米沢牛の歴史

もともと、農耕や荷物の運搬、採肥などを目的に置賜地方で牛が飼われていたのが米沢牛の始まりでした。1871年ごろの米沢藩では、4つ足の動物を全般に食べる習慣がありませんでした。

しかし、江戸時代中期の大名である上杉鷹山が開港した興譲館で、英語教師として招かれたチャールズ・ヘンリー・ダラスが、米沢で育つ牛をコックに調理させ食べたのが、米沢牛の始まりです。

教師としての任期を終えた後、米沢牛を一頭丸ごと連れて帰り、友人などに牛肉のおいしさを伝えたのがきっかけで、米沢牛のブランドが全国に広まっていったといわれています。

米沢牛の希少性

米沢牛の肥育農家は、すべての牛の管理がいきわたるようにするため、40頭前後に限って牛を育てています。米沢牛が成長するまで約4年以上の歳月が必要になります。牛が生まれるまでに9か月かかり、繁殖農家で、子牛が9か月間飼育され市場に出荷されます。

そして、肥育農家に子牛がわたり、約32か月間もの時間をかけて、280kgの子牛を650kgまで成長させ、美味しい米沢牛が生まれます。米沢牛が世の中に出回るのは年間2000頭程度です。

米沢牛が食べるエサとは?

肥育期間に食べられる米沢牛のエサは、稲を乾燥させたワラと麦、ふすま、大豆粕、トウモロコシ、米ぬかなどを与えて成長させます。基本的には、牧場に生えている草を食べさせることはありません。衛生的に管理されていない生の草を食べることによって、肉に独特な臭いがついてしまうのを防ぐためです。

米沢牛はどのように育てられる?

山形県置賜地方は、山に囲まれた盆地であり、豊かな自然で溢れています。また、日本の中でも緯度が高いため、寒い冬は雪に覆われすごく寒く、夏場は山に囲まれているため、湿気が高く蒸し暑い環境で育てられます。人間にとっては厳しい気候ですが、美味しい米沢牛を育てるには最高の気候であり、米沢牛はのびのびと育ち、健康で栄養価の高い良質の牛へと成長していきます。

◇【飛騨牛】

 

飛騨牛の特徴とは?

飛騨牛は、きめ細やかで、とても柔らかく、とろけるような霜降りが特徴で、口の中で豊潤な香りと味わいが楽しめます。色はきれいなピンク色で色鮮やかです。飛騨牛は、筋肉繊維が細いため、ステーキやシチューなどが適しているとも言われています。

飛騨牛の定義

岐阜県(主に飛騨地方)で育つ黒毛和牛であり、飛騨牛銘柄推進協議会登録農家制度に認められ登録されている肥育農家で、14か月以上育てられている必要あります。肉の格付けが3等級以上であり、歩留等級がAもしくはBであることが条件で、協議会事務局に認定された牛だけを松坂牛と呼ぶことができます。肉質等級が基準に満たない牛肉は、飛騨和牛とよばれ販売されています。

飛騨牛の読み方

飛騨牛を食べられる状態(精肉)の時は、「ひだぎゅう」と呼び、生きている牛の状態であれば、「ひだうし」と呼びます。

飛騨牛の歴史

1981年ごろ、兵庫県から安福号と名付けられた優秀な但馬牛のオス牛を連れて帰り、肉牛用の牛を繁殖させたのが飛騨牛の始まりでした。飛騨牛は2002年に5年に1度開かれる和牛のオリンピックと呼ばれる全国和牛能力共進会で、全国の優秀な和牛を出しおいて、内閣総理大臣賞と最優秀枝肉賞を受賞しています。

その5年後の第9回大会においても、最優秀枝肉賞を受賞し、和牛の中の和牛と称されるようになりました。また、最近では近畿東海北陸連合肉牛共進会のコンテストにおいて、2012年、2013年、2015年に農林水産大臣賞(最優秀賞)を受賞しています。

飛騨牛の年間出荷数

飛騨牛の年間出荷数は年間10,259頭です。出荷数の多さは生産者の肥育技術の高さと岐阜の自然が作る環境の良さを物語っています。

飛騨牛が食べるエサとは?

飛騨牛は、天然の飼料だけで育てられます。乾燥した藁をベースに、牛の健康状態を加味しながら、トウモロコシや麦などを与え、牛一頭ずつ大切に育てられていきます。

飛騨牛はどのように育てられる?

安福号の血を受け継いでいる妊娠したメスの牛は良質な牧草が生えそろう標高1000メートルほどの牧場で放牧され、のびのびと妊娠期間を過ごします。子牛が生まれると3ヵ月間は、母乳を飲んで成長していきます。

離乳した後は、約5ヵ月間ほど、運動のしやすい広々とした牛舎で飼育され、子牛の健康を気遣い、肉牛のベースになるよう飼育していきます。そして、8か月後には、牛を太らせていく肥育期に入ります。大きな牛に成長させるには、まず健康で大きな胃袋を作る必要があり、質の良いエサをいっぱい与えます。約20か月間、愛情をこめて飼育され美味しい飛騨牛へと育っていきます。

◇【宮崎牛】

宮崎牛の特徴とは?

他のブランド和牛にない滑らかな芳醇なコクとジューシーで上品な霜降りと赤身のバランスがよく、口の中でほどけるように脂が溶けていきます。一般的な牛肉特有のクセや臭みは一切なく、サシがとてもきめ細かく牛肉の至宝と呼ばれています。

また、美味しいだけでなく宮崎牛は生活習慣病の予防にも効果的と言われていて、宮崎牛の成分であるオレイン酸は、オリーブオイルの主成分としても認知されており、飽和脂肪酸の中でも参加しにくく、人間の体の中で活性酸素と合わさり、過酸化脂肪ができにくいとされています。そのおいしさが海外でも知られており、高級食として、アメリカや香港、シンガポールなどにも輸出されています。

宮崎牛の定義

品種は黒毛和牛であることが大前提にあり、宮崎県内で肥育された和牛である必要があります。そして、日本食肉格付け協会にて定められた基準の肉質が4等級以上である場合、宮崎牛として認められることができます。

宮崎牛の飼育量

宮崎牛の飼育量は全国3位です。約243,600頭の肉牛を育てており、1位の北海道、2位の鹿児島県に続くのが宮崎県です。

宮崎牛の歴史

宮崎牛は昔から素牛として日本各地のブランド和牛の産地へ出荷されています。佐賀県の佐賀牛、伊万里牛三重県 の松坂牛、鹿児島県の鹿児島黒牛、長野県の信州和牛、長崎牛の 五島牛、壱岐牛、京都府の 丹波牛、滋賀県の 近江牛、茨城県の常陸牛、徳島県の阿波牛と、など、日本全国の素牛としても利用されているブランド牛です。

昭和46年頃には、地元の宮崎牛をブランド化させる取り組みが始まり、宮崎県で素牛から肥育まで一貫して育てられ、昭和61年には、美味しい宮崎のブランド和牛が誕生しました。

2007年には、5年に1度行われる「和牛のオリンピック(全国和牛能力共進会)」に出場し、内閣総理大臣賞を2部門同時に受賞し、圧倒的な宮崎牛の実力を見せつけました。

2009年に、宮崎市で宮崎牛を70キロ使った世界最大のハンバーガーが作られギネスを更新したのですが、翌年の2010年には、口蹄疫という家畜に発症するウイルスが宮崎県内に広がり、宮崎牛を筆頭に農家を遅い大被害をこうむることになります。

崩壊的な被害を受けてしまいましたが、県内一致団結し、宮崎牛の復活に向けて、力を入れ和牛の復興へと向かっていきます。その結果もあり、2014年に行われた第10回目の全国和牛能力共進会の種牛部門で度目の内閣総理大臣賞を受賞しました。

宮崎牛が食べるエサとは?

牧草を多く食べ去ることによって、牛の胃が丈夫になってきます。肥育するときに牛の胃を丈夫で大きくすることは、濃厚な飼料を元気よく食べてもらうためにとても大切です。栄養価の高い飼料を食べてくれる程、最高の和牛と成長してくれます。約22ヵ月間の肥育期間を経て、価値の高い宮崎牛として出荷されることができるのです。

宮崎牛はどのように育てられる?

牛はとてもストレスを感じやすい動物ですが、自然豊かな宮崎の気候でのびのびと、農家で愛情たっぷりと育っていきます。宮崎県霧島連山の麓では、澄んだ空気と山々の木々に囲まれた大地があり、大自然いっぱいの中で牛たちが育ちます。

宮崎牛

◇季じょん山牛のご紹介

季じょん山牛は、肉牛の飼育数が全国 3位である宮崎県のほぼ中央、特に農業が盛んな地域である児湯郡木城町で飼育しています。南国の穏やかな気候で冬も比較的暖かく、町の喧騒から離れた静かな環境のもと、牛飼い一筋40年以上の経験を持つ鍋倉牧場の鍋倉隆ーさんが飼育しています。

もともとは、黒毛和牛を中心に繁殖農家としてのスター卜でした。黒毛和牛は世界最高の肉質と称され、宮崎県でも宮崎牛がブランド牛として有名です。宮崎牛は香り豊かで卜口けるような軟らかさが特徴です。

みやざきサンミート季穣の通販は自信をもっておすすめできるおいしい牛肉を取り揃えております。牛肉のお取り寄せで、美味しい宮崎牛をご家庭でお楽しみください。

◇【前沢牛】

 

前沢牛の特徴とは?

前沢牛は、岩手県奥州市前沢区で育つ良質な黒毛和牛です。きめ細かな霜降りと、しっとりとした柔らかい肉質で、ロースに人差し指を置くと、自然と肉質が沈みます。脂が人肌の温度でとろけだし、口にした時に牛肉がほどけるような甘みと食感が特徴です。良質な脂は舌触りが滑らかで、塩コショウだけで肉のうまみが堪能できます。奥州前沢区に訪れたのであれば、絶対に食べたい最高の霜降り和牛を大トロに見立てた「前沢牛にぎり」が、とても有名です。

前沢牛の種類

前沢牛は、もともと農耕や運搬用の牛として飼育されていました。しかし、農耕用の機械が進歩することによって、次第に肉食用として飼育されるようになってきました。

1969年に初めて東京肉食市場に出荷された前沢牛は不評で「岩手のガリウシ」と言われたそうですが、牛の品種改良を重ね、種牛に但馬牛を使い、繁殖牛に島根牛を用いた結果、水と空気がきれいな前沢の地にぴったりとマッチし、最高の肉質へと育っていきました。全国肉用牛枝肉今日励会の名誉賞を6回も受賞する程のブランド和牛へと名を上げるほどになりました。

前沢牛の定義

生産者が岩手県奥州市前沢区に住んでいること、子牛の生まれた場所を証明できるか、全国和牛登録協会が発行する子牛登記証されている黒毛和牛であること、農場が岩手県奥州前沢区であり、そこで1年以上肥育されていること、また牛が生まれてから前沢区内で養育期間が一番長いことが条件です。

前沢区産に、こだわった牛だといえます。肉質の条件としては、4等級以上で、歩留が「A」もしくは、「B」であることが前沢牛の定義です。

前沢牛のうまさの秘密

牛を肥育する農場の人が集まる「お茶会」が頻繁に開催されており、「牛のエサのブレンド方法」や「冬に牛にストレスを与えず肥育する方法」などの肥育技術についての会話が盛んにおこなわれています。こうした生産者の交流が前沢牛を美味しく発展させてきました。

前沢牛が食べるエサとは?

岩手県は、稲作が盛んで質の高い草と飼料が確保されています。稲わらは牛の食料となり、敷床としても利用されます。

前沢牛はどのように育てられる?

前沢牛は1頭1頭、目がいきわたるように大切に育てられています。ブランド和牛として飼育するためには、広い牧場でのびのび自由に放牧させているだけではいけません。暑い日には扇風機を回し、寒い日には麦ワラで体を温めるなど、愛情を牛に注ぎ育てられています。しっかりと牛舎で肥育し、牛の顔色などから体調を管理し、ストレスが溜まらないよう牛の肉質にこだわりを持って育てられています。

◇【石垣牛】

 

石垣牛の特徴とは?

石垣牛のサーロインは霜降りがマーブル上に広がり、肉質はとろけるような食感で、一度食べると忘れられない美味しさと言われています。お肉が焼かれた時の香ばしさと甘さが絶妙な割合で重なり、口全体にうま味が広がります。

石垣牛の定義

八重山郡内で20か月以上肥育されたメスの黒毛和牛もしくは、精巣を除去したオスの黒毛和牛であることが大前提です。石垣牛の出荷期間は、去勢されたオスの牛で24~35か月、メスの牛で24~40か月の範囲以内とされており、この期間を逃すと石垣牛と認定されなくなります。

品質表示としては、日本食肉格付協会が定める規定で、歩留等級がAかBである必要があります。その中でも肉質等級が5等級か4等級であるものが、特選石垣牛と呼ばれ、3等級・2等級のものは銘産と呼ぶことができます。

石垣牛の歴史

もともと、石垣牛は地元で愛される「地産地消」の黒毛和牛でした。毎週、石垣島で約30頭くらいの牛が競り市で取引されて、島の卸売へと出荷され食されてきていたのが日常でした。南国は牛にとっては繁殖するには最高の土地柄で、全国各地のブランド和牛となるために子牛の状態で、出荷されるのがほとんどでした。

2000年7月に行われた「沖縄サミット(首脳国会議)」の晩餐会で振る舞われたメインディッシュの石垣牛が、大絶賛された後、爆発的な知名度を誇り、全国各地で「石垣牛が食べたい」という声が広がり、流通が広がっていきました。

石垣牛が食べるエサとは?

石垣牛のエサは、他のブランド和牛と比べると少し特殊で、石垣島特産のクロレラやステビアなどが与えられ、牛の健康を維持されています。また有名な石垣の塩が健康のバランスを考えられ与えられ、糖分はサトウキビの葉で栄養管理されています。

石垣牛はどのように育てられる?

日本最南端の石垣島は、気候が暖かく、太陽の日差しを受けて一年中、大自然の牧草地が元気に生い茂っています。寒さを知らない環境で、牛はストレスフリーで食欲を落とすことなく、のびのびと育ちます。また、温暖な気候では牛の繁殖も強まり生産が盛んに行われます。

◇【仙台牛】

仙台牛の特徴とは?

全国でもトップレベルの質と量を誇る「仙台牛」の肉の味は、口当たりが柔らかく、まろやかな風味とあふれ出す肉汁が特徴です。霜降りのバランスが良く、上質な味わいを堪能することができます。肉質等級が最高品質の規格でしか取り扱わない仙台牛は、最高の霜降り和牛という事が保証されています。

仙台牛は普通のスーパーや精肉店で購入できず、仙台牛の販売が指定されているお店と認定されたお店のみで販売されています。信頼と品質を大切にしているのが仙台牛の特徴です。

仙台牛の定義

仙台牛は、肉質が最高ランクのA-5、B-5しか取り扱わないので、品質が確実に保証されています。C-5~B-3と判定された肉牛は「仙台黒毛和牛」と呼ばれ、霜降りの量は若干少なくなりますが、うま味は、仙台牛に負けず劣らず最高です。

  1. 黒毛和牛であること
  2. 仙台牛生産登録農家が適正な管理を行っていること
  3. 宮城県で肥育された肉牛であること
  4. 本協議会が認めた市場及び共進会に出品されたものであること
  5. 日本食肉格付協会枝肉取引規格で、A5もしくはB5と判定された肉牛であることが仙台牛の条件です。

仙台牛の歴史

昭和6年ごろ、牛肉の品質向上を図るため宮城県の畜産試験場で品種改良を試みたのがきっかけで、美味しい牛肉を求める研究が重ねられてきました。1974年には、兵庫県から「茂重波号(しげしげなみごう)」という種牛が導入することによって、最高品質の牛に育て上げることができました。

その後肥育方法についても研究が重ねられ、2001年に品種改良を重ねたスーパー種牛と言われる「茂洋号」が誕生し、A-5、B-5の確立が76%となり、仙台牛の品質向上に貢献しています。

仙台牛が食べるエサとは?

宮城県は、お米の生産が盛んです。良質な水で育った「ササニシキ」や「ひとめぼれ」などの稲わらを贅沢に食べて育っていきます。宮城県の稲わらは栄養価が高く、北海道から関東、山陰地方まで流通している有名な商品です。

稲わら以外にも、牛の成長段階において、お米を食べさせることがあり、不飽和脂肪酸が多くなり、肉牛の脂が美味しくなるといわれています。

◇【丹波牛】

 

丹波牛の特徴とは?

京都の歴史は古い建物だけでなく、食の文化も代々引き継いでおり、上質な和牛の生産を行ってきました。京都というのは、おばんざいや京とうふ、懐石料理など、京料理のイメージが根強いですが、実は牛の文化も古くからあり、多くの文化人の舌をうならせてきています。

丹波牛の味は、繊細で且つ、きめ細かい舌触りで、うまみのある脂肪分が特徴です。また、京都独自の衛生管理方法で、牛の加工工程についても、安心安全なブランド和牛でもあることも保証されています。

丹波牛の定義

丹波牛(京都肉)の定義は、牛の品種が黒毛和種であることが大前提にあります。そして、京都府内で一番長く飼養されており、京都中央卸売市場の第二市場で、食肉加工されていることです。また、日本肉食格付協会で最高ランクのA-5、B-5もしくは、A-4、B-4の企画であることが条件となります。

丹波牛の正式名称

丹波牛という名前の方が有名ですが、丹波牛の中から厳選したものを京都肉と呼んでいます。「伝統と文化の味”京都肉”」というキャッチコピーでブランド化された京都の贅沢な和牛です。なお、2017年4月に開催された「肉食産業展」において、銘柄牛肉好感度コンテストで優秀賞として選ばれており、刻々と知名度を伸ばしているブランド和牛の1つです。

丹波牛の歴史

古き良き伝統と文化を大切にする京都では牛の歴史も古く、1310年に記されたもっとも古い和牛書が残っています。「国牛十図」の中に丹波牛の事が説明されています。

平安時代には皇族や貴族の間で、高級品として丹波牛を食されていましたが、牛肉が一般的に広まっていったのは、江戸時代の終わりごろです。「牛鍋」と呼ばれる”すき焼き”の様な牛肉料理が食べられるようになったのがきっかけだと言われています。明治時代初期に東京の新橋に、日本初の「牛鍋屋」ができ、同じ年に京都にも「すき焼き屋」が開かれたそうです。

丹波牛が食べるエサとは?

9ヵ月から14か月までは、牛の胃を丈夫にするために、チモシーと呼ばれる乾燥されたイネ科の草やふすまと呼ばれる小麦、ビールの搾りかすなどが与えられます。15ヵ月目から23ヵ月目ではふすまをベースに、麦、トウモロコシ、ビールの搾りかす、麦わらを食べて成長します。そして、出荷されるまでは、ふすま、麦、トウモロコシ、ビールの搾りかす、米ぬかを自家配合され健康な体を維持しています。

丹波牛はどのように育てられる?

京都市内から離れ、北の方角に面している丹波地方は田舎ならではの澄み渡った空気と地下150mからくみ上げられた京都の美味しい天然水がそろっています。

良質な檜や杉のおがくずの寝床が用意され、牛たちは小鳥の鳴き声で目覚め、明るい太陽を元気いっぱい浴びて、日が沈めば、小川のせせらぎを聞きながら眠りに着きます。

ストレスを開放させるために、日中にクラッシックを聞きながらのんびりと過ごす牛たちもいるそうです。牛がリラックスしており、ストレスを感じていない丹波の牧場では、牛の鳴き声めったに聞こえないそうです。